女性アナウンサーは男性司会者の「添え物」なのか
安藤優子に聞く「日本の“女子アナ文化”への違和感」
Courrierにあった記事のタイトル。会員専用記事だったので読んではいないけれども,アレっと思った。
「未だに日本は・・」という溜息とも驚きともつかぬままの不思議なのだ。70年ごろから,男社会の日本について,仲間たちとの話のテーマにあがることはたびたびあったし,関連記事も結構あったのではと思う。以来,やさしくなった若者男性とか,家事や育児を手伝う男性とかの記事を見るたびに,日本も徐々に変わっているんだなぁと何となく思っていた。と同時に,あまり意識していなくても,男性優位の感情や価値観を自分が持っていて,なかなか逃れられないことはしばしば感じている。
最近は中性と称する人たちも出て来て,同性愛の人たちも多くは肩をすぼめて生きていないので,男女の違いが昔ほどはっきりとはしていない社会だ。70年代まで,法律的には夫の許可なしに妻が外で働くことは許されなかったドイツでも,テレビの司会者は少なくとも僕が知っている80年代からは,男性ほどではないにしても女性が多い。多いというよりも当たり前なのだ。その後,徐々に,男性がアシスタントを務める番組も増えてきたような気がする。しかし,世界を見渡すと,男女の違いと共に,「男性はこうあるべし,理想の女性はこうだ」という人々の感情や道徳観は微妙に交じり合い,国によって男女の役割が異なっているのも事実だ。北欧諸国がかなり男女平等の社会であり,人々の価値観も同様であることは広く知られている。だからというわけでもないけれども,細かいことをいえば,90年代のドイツのテレビニュースでは,ARDがザビーネ・クリスチアンゼン,ZDFがマイブリッド・イルナーという2人の女性アナウンサーが主役を務めていたけれども,クリスチアンゼンのほうが知的でイニシアチブをとっていた気がする。あるとき,中年のドイツ人男性は,「クリスチアンゼンはインテリでニュースもとても良いんだけれども,彼女はちょっと男性みたいだからなぁ」と,理解に苦しむ微妙な感情を漏らしていた。
ヨーロッパでもテレビの司会者の性別および男らしさ・女らしさに対する感情は微妙だという意味で一例をあげたのだけれども,「そうですね」と横で可愛らしくうなずくだけの女性アシスタントは,80年代,いや90年代ごろまでは「日本はまだ遅れてる」とか「やはり日本は男社会なのか」ぐらいのコメントだっただろうけれども,2020年代となると,時代錯誤を通り越して「おまえ,頭,大丈夫か」と言われるのではなかろうか。
日本における男性像・女性像について考えることは多いのだけれども,長くなるので控える。
それよりも,不思議なのは,なぜ日本の女性は声を,もっと大きく,もっと強くあげないのだろうかということだ。テレビ会社の方針を変えるとか,もっと細かい男女平等の法律を定めるとかいうのは,個人的にはあまり望まないし,どうでもいいことだ。
女性からあまり声があがらないということは,それほど大したことではないと思っている女性が多いのではなかろうか。日本女性は,嫌だと思っているのか,仕様がないと思っているのかについても分からない。
電車のなかでポルノ雑誌をびろ~んと広げている男どもを見て,いやねぇと思っているのか,それとも男はこんなもの,と見放しているのだろうか。
僕の記憶をたどると,小学校では女の子は頭もよく,ためらうことなく何でも主張していたのに,中学高校とあがるにつれ,静かになっていった。そして成人になると,女社会を築き,逆に男が入りにくいほどの砦のなかでの安心感に護られた世界に慣れてしまったということは言えないだろうか。僕も日本に一時帰国すると,友人たちがささやかなパーティーを開いてくれるのだけれども,女性,つまり奥さんたちはみんな台所に集まってガヤガヤ,居間に入ってきても外に出ても,女性同士の話ではずんでいることが多い。心地良い雰囲気のなかで,何が問題なのかと言われそうだけれども,少なくとも西ヨーロッパ人の感覚からすると異常であることはほぼ間違いない。
ドイツ在住のトルコ人はマッチョであるという記述をときどき目にするけれども,形が違うだけ。日本人男性は,やさしいソフトマッチョなのだ。
そして,日本人女性はソフトマゾヒストではなかろうかと思うことがある。
Youtubeを開いたら偶然,昔のケーシー高峰という人が出て来たので少し聞いてみた。
女性を小ばかにした話を次々にして観客の女性たちは馬鹿にされるたびに笑っている。
それも本当に楽しいユーモアとして笑っているのだ。
ケーシー高峰だけではない。落語・漫才でも,いや古典落語でも,女性をあざ笑うシーンはどんどん出て来る。観客の半分ほどはもちろん女性だ。
「馬鹿」という表現は世界共通かもしれないけれども,日本人男性はこれに加え,やたら「ブス」という言動も平気でするし,太った女性に対するあざ笑いも欧米よりも極めて強い。
もちろん,ヨーロッパにおいても,女性らしい女性やきれいな女性は得をしていることは間違いない。男性と女性の間や関係における問題自体は世界共通だけれども,日本の場合は先進国のなかでは極端でそれが端的に表れているのがテレビの司会者なのだ。また,テレビの世界だけではなく,現在働いている日本女性の多くには能力を十分発揮させる業務が与えられておらず,子供の育児教育の社会的援助や設備がもっと整えば専業主婦でも働ける,働きたい女性は多いだろうし,莫大な経済効果があることも間違いないと思う。もったいない状況だ。それらの一因として,男性女性を問わず,日本人独特の「かわいい好き」があるだろうことも付け加えておきたい。
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