モンマルトルを訪れる人たちは,サクレキュール寺院を正面の丘の上に仰ぎながら狭い坂道と階段を上がった後振り返ってパリの全景を見渡す。
そして寺院裏の小さな広場で画家たちがキャンバスを広げて描いている,多くは観光客用ポートレートを見て歩く。財布に余裕があればカフェテラスで食事を取るかもしれない。
ここからさらに裏を廻り,風車小屋跡やシャンソニエのラパン・アジルがある寺院の反対側に降りてゆく人たちは急に少なくなる感じだ。
同居人Tは,アリアンスフランセーズで見つけたアパートがルピック通りにあることを知って,「おい,Moulin de la Galetteが見えるやないか,やっぱすごいなRue Lepicは!」と契約を済ますと興奮した様子ですぐにでかけて行った。元々は絵描きを目指して会社を辞めてパリに来た男なので,パリといえばモンマルトルかモンパルナス。この辺りに残っているいろんな昔の光景に感銘を受け,時間があれば散歩していた。
「芸術のパリ」の世界を知らない僕はといえば,改築など全く行われたことがないようなファサードが剥がれて色あせた建物が続く狭い裏道をぶらぶら歩きながら,アンドレ・ジードの小説をうっすらと思い起こすとき,少し夢心地になるぐらいだ。
モンマルトルの表舞台には,人気がないときや寒々とした灰色の空に覆われているときを別にすると,通常は観光客の臭いで一杯なのでほとんど行かない。
何となくクリシー広場にぶらぶら行く気になった。アパートを出て,モンマルトル墓地に続く裏道から行くか,クリシー大通り沿いに歩くか,だけれどもなんとなく今日は大通り沿いに行くことに。
ピガールほどではないにしても,ムーランルージュ近辺には早朝,真夜中,いつも立ちん坊の女性がいる。顔見知りになった数人とは簡単な挨拶も交わす。
クリスマス前やストリート祭などがあるときは無料のストリップ小屋がクリシー大通り(Boulevard de Clichy)の中州のような中央分離帯に立つので小さな楽しみが増える。狭いテントの中での立ち見だけれども,裸の女性に気を配って暖房も効いて,お客さんも結構行儀よく静かな音楽に乗った場末の雰囲気に包まれる。冷たいみぞれが降っている夜はなおさらだった。入れ替わり立ち代り出てきてくれる女性たちに妖艶さはあまり感じない。「ほら見せたるよ」という雰囲気もなく,さらっとして,チップが出されるとちょびっとだけ笑って消えてゆく。逆にいえば盛り上がらないからこそ安堵感もある。美しく若い白人女性の裸姿に興奮などしたら,ぽつんとひとりだけ黄色い人間がよだれをたらしているようで,自己嫌悪に陥ることは間違いない。
クリシー大通りに沿ってピガールを過ぎてさらに歩き続けると,何の店か分からないような雑一色の商品が山盛りになった店舗が続く。その先は得体の知れない移民や黒人居住者が急に増えるので,危険性は定かではないけれどもあまり近づくことはない。
今日はクリシー広場に向かう逆方向。ムーランルージュの先にあるエロ映画館の新しい看板が目に付いた。どうせ時間つぶしだ,入ろうかな。パリにはあまりに小さすぎる映画館が多い。でもありがたいことに,この辺りの成人映画館は狭くもなく丁度良い大きさだ。それに学校の教室のようにひとりひとりの席が分かれた,飲み物を入れられる小テーブル付きシートの映画館もあるので,快適ではなくても時間つぶしには十分だ。
それにいつも客は少なく,誰も口を利くことも,他の客に気にかけることもないので,恥ずかしさも感じないのが良い。
日本にいたころ,日本のポルノ映画は一度も見たことはない。
興味はあったけれども,半裸の日本人女性が腰をくねらせた日活のポスターなどは,正直言って一瞥するだけで反吐が出そうだった。普通の映画を見ているとき,ときどきポルノ映画の予告編が映されることはあったけれども,老いた日本人男性や乱れた和服の半裸女性が出てくると,なぜか特に嫌気が差した。
白人女性のほうが美しいと思っていたのかもしれない。いやおそらくそうなのだろう。洋画のポルノというのも日本では見た記憶はないけれども,性の行為というよりも性自体やエロティシズムにはほかの男性に劣らぬ興味はあり,「どうしてこんな映画が製作されないのだろうか」と映画人に推薦したい演出やシーンは頭の中にいくつもあった。
スウェーデンの映画だっただろうか。ポスターを見ただけで直感で映画館に入ったことがある。成人映画の指定ではなかったので未成年の僕でも大丈夫だった。
緑もない,きれいな景色でもない,半分枯れた茶色い草がところどころにあるだけで,岩石もごろごろしているような高山の広い禿山で裸の女性がひとりうめいていた。男は彼女の想像の人物だったのか,ときどきふんわりとしか出て来ない。ふくよかな乳房にみとれたけれども,悔しいことに日本の映倫によって乳房の部分だけフィルムが黒く醜く削られていた。まぁそれでも,僕にとっては十分なエロティシズムを感じた初めての映画だった。
その後,究極の性とエロティシズムの美を感じる映画を見たときは衝撃的だった。
以来,これに勝る性とエロティシズムを感じる映画を見たことはない。エマニュエル夫人なんて子供だましの映画だ。
とはいっても,女性の身体と性に面した僕の内なる興奮しか記憶になく,映画の内容はほぼすっかり忘れている。50年以上も経った今でも,いつか改めてゆっくり見たいと思っているのだけれども,ひとりでこっそり見たいのでなかなか機会に恵まれない。しかし,女性もこのような映画を見て,性の歓びを感じるのだろうか?
イングマル・ベルイマンの「ペルソナ」
そして時は経ち,適当に入ったクリシー通りのポルノはやっぱり出来の悪い三流映画だった。でもひとつ収穫があった。脇役を務めた俳優。間違いなくシルヴェスター・スターローンだった。スターになる前の苦労の時期だったと解釈してあげよう。
クリシーと聞けば,「クリシーの静かな日々」を思い起こす人も多いと思うけれども,この辺りが舞台なのだろうか。そしてヘンリー・ミラーもこの辺りの何処かに住んでいたのだろうか。
クリシーといっても一体どの辺りの地区なのか実は知らない。地下鉄ではPorte de Clichy行きによく乗るけれども途中で降りるのでクリシー市役所も見たことはない。クリシー大通り(Boulevard de Clichy)ではなくクリシー通り(Avenue de Clichy)沿いに北に向かうと,社会保障受給者用の高層ビルも建ち始めているサン・ドゥニ地区に続く。家賃が安いので移民が多い通称バンリューと呼ばれる郊外までは行ったことはないけれども,クリシー広場(Place de Clichy)からクリシー通り(Avenue de Clichy)を少し上がるだけで,異邦人というか移民の住民が一挙に増え始めるのが分かる。黒人でもパリ市内に住んでいる黒人は,静かで知的な印象を持つ。フランスの教育を受けているからなのか分からないけれども,フランス生まれだから生粋のフランス人との違いはもはや少ないのかもしれない。いずれにしても,多くのアメリカ黒人から感じた激しさや強さはなく,やさしさが第一印象で自分でもびっくりした。
クリシー広場(Place de Clichy)は自動車と人間が多く行き交うだけの騒々しい四つ角だけれども,夜に華咲く世界,モンマルトル,パリ市内,そして北の郊外に続く地域と分かれる境界線でもある。
パリ市内に向かう南側の裏通りに入ると騒音は急に消える。その一角にある前世紀からのような雰囲気に満ちたビリヤード場を発見して以来,ときどき通うようになった。通うといっても,一度ちょっと参加させてもらっただけ。アメリカ式のプールなら少し慣れているけれども,フランス式のビリヤード台は大きい上にむずかしく,なかなか一緒のプレーを見知らぬ人にお願いするには勇気が要る。
それで,中年男性の溜まり場になっている広いダンスホールのようなビリヤード場で葉巻をくわえたフランス人のお手前を眺めながらぶらぶら歩き廻るだけのことが多い。パリの下町で生まれ育ち,シャンゼリーゼや左岸には行ったこともないような中年の男たちはみんなジャン・ギャバンの仲間のようだ。中年女性もひとりふたり混じったフランス人を観察できるのは心地良いし,それだけでも十分楽しい時間だ。財布に余裕があるときは数台のビリヤード台を大きく囲むように置かれている小さな丸台に腰をかけてエクスプレスを飲む。
カーブ状の脚が美しい年季の入った茶色の小さな円形テーブルと椅子は,パリ,いやフランス中どこに行っても目にする,時代を超えた超ベストセラー。カフェの必需品ともいえるような調度品だ。
おそらくアールデコとかアールヌーヴォーとかいう形容詞が備わったモデル名があると思うけれども僕は知らない。
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