明日は我が身,もう訃報には慣れた

また友人が亡くなった。というか,亡くなっていた。
筆不精など通り越して音信普通など当たり前の僕なので,昔の友人から諦められて久しい。

しかし,年をとって,昔の友人たちの訃報がひとつふたつみっつと届き始めると,あいつはどうしているだろうか,とふと気になる。本当はふとではなく,頻繁に思っているのだけれども,連絡をとるにはコンディションを整えた上で大きな勇気を必要とする僕なので,またずるずると時が過ぎてゆくわけである。

先日,条件がすべて揃った天気の良い日,やっと電話を入れてみた。出ない。番号が変わったのかな。やっぱり。「この番号は使われておりません」とのアナウンス。別の友人にかけてみる。出ない。翌日,僕のコンディションは完璧ではなかったけれども,意地もあって電話を入れたら出てきた。

「あぁ君か」「廣川はね,」電話口で涙ぐんでいるような沈黙が見えるような気がしたとき,彼は続けた。「亡くなったよ,去年」

背中の痛みを訴え,病院に行ったら,末期の膵臓癌だったそうだ。

前回,一時帰国で会ったとき,といっても20年以上も前だけれども,彼に聞かれたことを度々思い出す。「君は,2本の異なる綱が絡み合うと,いつかは同じ1本の綱になると思うかい?」

彼は当時(おそらく)ベストセラーとなっていた「風土」(和辻哲郎?)や日本人について熱く語っていたので,未来の人類に目を向けていたかもしれない。または,彼と一緒に行ったアメリカでの人種問題,または20代で日本を離れ60過ぎても一向に日本に帰って来る気配のない僕のことを聞きたかったのかもしれない。

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