ティアガーテン地区もクロイツベルク地区も東西ベルリンを分けている壁の中心部に位置するので,近くに住んでいる僕の散歩時の足はなんとなく壁の方に向かってしまう。
いつ行っても歩いている人はあまりいない。
ブランデンブルク門や旧国会議事堂の辺りには多少の人はいるけれども,少し離れた,壁に沿った西ベルリン側は何もない殺伐とした原っぱがところどころにあったり,東ベルリンを壁越しに覗き見する簡易展望台がいくつかあるだけ。ポツダム広場,というかポツダム広場跡原っぱにある展望台は,早い話,壁の向こう側の東ベルリン側の,地雷があるかもしれない広い空き地と国境警備隊の巡回や管理塔を見物するための仮設やぐら。高さは2-3メートル,10人も上がればいっぱいになるので狭い階段が付いているだけ。あまりしっかりとした展望台を作れば,東の国境警備隊を刺激するという配慮かもしれない。
ブランデンブルク門ですら通り抜けできないのでUターン地点に過ぎない。往年の大ベルリン時代の最も重要な大通り,ウンター・デン・リンデン通りだ。あるとき友人が「菩提樹(リンデン)や白樺はソビエトの象徴的な木なので,東ドイツの主要な道路には社会主義を強調するために必ず植樹するのだろう」と言っていたけれども定かではない。
ただ,この通りに最初の菩提樹が植えられたのは17世紀で,当時すでに60メートル幅の大通りだったといわれる。
でも現在では,菩提樹そびえるかつてのウンター・デン・リンデン通りは東ベルリン側のみの話で,ブランデンブルク門を境に,西ベルリン側での名称はは6月17日通りに変更,通称「ドイツ統一日通り」となった。
6月17日というのは,1953年6月17日に東ベルリンでデモが起こった際,ソビエト軍が戦車で出動し,多くの犠牲者を出した事件に因む。
そしてこのドイツ統一日という言葉は,ドイツ語では,≪Tag der deutschen Einheit≫。1991年10月3日のドイツ再統一を記念に設けられたドイツ統一日は,≪Tag der Deutschen Einheit≫。ドイツという語彙が大文字(名詞)か小文字(形容詞)かの違いだけれども,ドイツ語を知らない人でも想像は付くと思う。
西側の大通り名を≪Tag der deutschen Einheit≫に変えたときは,非現実的ながらもいつの日か,という願望を込めた呼称だったのだ。
西ベルリンとなった今の中心街は何といってもクーダム(クーフュアシュテン・シュトラーセ/選帝侯通り)。往年の中心街,ブランデンブルク門周辺や壁沿いは,大通りを走り抜ける車を除くと,人の往来などないのに,重要な施設がひとつふたつと置かれている。
ベルリン・フィルハーモニー,新国立美術館,グロピウス・バウ美術館などだ。バウハウスの設立者であるヴァルター・グロピウスの叔父にあたる建築家,マーティン・グロピウスによって19世紀末に建てられた建築物は,ポツダム広場に近い一等地だったけれども,ベルリンを真っ二つに切った壁が中心部なので,今では原っぱ前の壁沿いにポツンと孤立している。
フィルハーモニーは破壊されて消滅しているし,国立美術館は東ベルリン側にある。つまり,ベルリンの中心に数多くあった歴史的な施設や超大型の建造物は,壁によって東西ベルリンのどちらかに分かれたけれども,壁を建設したのはドイツ民主共和国(東ベルリン)なので,ブランデンブルク門を中心点として壁を建設する際,歴史的な施設はできる限りすべて東側に残るように考えたことは間違いない。
東西ベルリンが分かれる状況が確実になるにつれ,西ベルリンと西ドイツは,旧ベルリンにあった重要施設が現在の東ベルリン側にあるのであれば,同じ施設を新たに西ベルリンに建設しようと考えたのであろう。
それで,西ベルリンに,新たに,新フィルハーモニーと新国立美術館が建設されることになる。設計および建築に多大な費用を投じただけではなく,場所も西ベルリンの中心街からは遠く離れた原っぱ同様のポツダム広場跡の近くになった。理由は,いつか,いつともわからぬいつか,東西ベルリンの壁が取り除かれ,ひとつのベルリンになった暁には町の中心になるだろうから,というそれだけのことだった。
一方では,東西ベルリンは分かれたままであろうからと,西ベルリンに新たに施設を建設しつつ,他方ではいつか統一されることになったら,という準備もしているわけだ。
だから,近所を静かに歩ける散歩にはいいけれども,いつ通っても閑散として人の気配はなく寂しそうで,心地良いとはとても言い難い。
新国立美術館などは,玄関広場が大理石のようなつるつるしか平面なので,数人の若者たちがローラースケートを楽しんでいることのほうが多かった。有名な展示会があっても訪問者があふれる光景など一度も見たことはない。他人事ながら経営できるのか心配になる。
僕のように,無料のときだけやって来る人が多ければなおさらだ。
マーティン・グロピウスバウはもう完全に孤立。観光バスが,東ベルリンへの入り口のチェックポイントチャーリーに行く途中に,「あれが有名なグロピウスバウです」と一瞬目を向けるだけに過ぎない。
コンサート次第で人が集まるフィルハーモニーだけは,なんせカラヤン先生がいるベルリンフィルの拠点だし,地理的利便性は関係ない唯一の人気スポットだろう。
モダンな建築様式や音響も高い評価を得て,世界中のクラシック音楽ファンは西ベルリンに来たら真っ先に訪れる場所だ。
ところで,ポツダム広場跡に向かう途中に旧大日本帝国大使館がある。どうやら大使館の敷地というのは各国に所有権があるようで,日本大使館も例外ではなく,土地の所有者は日本だと聞いた。
だからといって何があるわけでもなく,ほっぽってあるだけだ。破壊された廃墟同然の建物の間から瓦礫と草しか見えないけれども,誰も入れないようにしっかりと柵がしてある。
僕はいつも瓦礫を横に見ながら一瞬の想いに浸っているだけだけれども,先日この日本帝国大使館の「廃墟」を記録している写真家にお会いした折,内部の写真を見せてもらった。
吹きさらしの壁や柱の間に散らばっている瓦礫が,モノクロ写真を通して何か語っているけれども,僕は何も,何にも分からない。でも,こんなところに日本の小さな島があることがとても奇妙で,200万都市の中心にありながら誰も目にも気にも留めない,忘れられた無人島の発見には興奮などなく,だからといって空しいわけでもなく,すぐにでも風に吹かれて消える埃のようだ。
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