西ベルリンとクロイツベルク地区

友人宅に居候のような感じでしばらくお世話になることになった。
戦争で爆撃を受けながらも頑丈な石造りの骨組みだけは残っていたので,何とか人が住めるような住居になっている,いわゆる古建築アパート≪Altbauwohnung≫だ。

天井は高く,3メートル以上もあるので,頭上よりも高い場所に作られた高台にマットレスが置かれた部屋もある。

西ベルリンには,このようなアルトバウヴォーヌングは結構多く,金をかけて改築している裕福層のアパートは小さな宮殿のようだけれども,古家具,壁,床,天井などぼろぼろのパッチワークでやっと住めるようにしただけのアパートのほうが圧倒的に多く,家賃も安い。

居候宅の,クロイツベルクのレアルシューレで教師をしているゲリンデとマーティンの2人暮らしのアパートは後者。南ドイツのバイエルン州に駐留していた米軍として兵役を務めていたとき知り合ったらしい。
因みに,ドイツの小学校は4年制。その後は希望に沿って,というよりも成績に沿って,大学進学を目指すギムナジウム,または義務教育を終了するまでの実科学校としてのレアルシューレに分かれる。

クロイツベルクはトルコの3番目の都市といわれるほどトルコ人が多い地区。ゲリンデが担当している教室の3分の1ほどがトルコ人だという。
滞在許可を申請したとき,クロイツベルク地区は外国人居住者が上限に達しているので,もう外国人は住むことはできないといわれた。
アパートがあるポールシュトラッセの次の通りはクロイツベルク地区だけれども,ここは境目に当たるティアガーテン地区なので問題はなかった。

しかし,居住届けのために区役所に行ったとき,「いろんな人が7名も住んでいるアパートですね!」と言われて首を傾げた。「いいえ,僕を入れて3人です」などと答えられるドイツ語力はないので,同行してくれたドイツ人の友人が適当に何か説明していた。

後で聞いたところによると,ゲリンデは,徴兵に行きたくない郷里の若者たちを何人も自分のアパートの住人として住民登録をしているらしい。西ベルリンのドイツ人居住者は徴兵されないので,徴兵逃れの若者たちが西ドイツから数多くやってきていることを初めて知った。

ある朝,ゲリンデが髪の毛の一部をオレンジ色に染めていたので,僕が少し微笑むと,「昨日,女生徒が髪を染めて学校に来たので,素敵ね,と言ったら,先生もしたら,と言われたの」。そしてそのまま通勤した。

 

 

 

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