今朝の新聞に「中尾彬さん逝く」の報。
失礼ながら,「あぁあの人はそんな有名な人だったのか」という印象を抱いた。
記事には奥さんは池波志乃さんと記されていた。時が経ったとは云え,写真を見ると,僕の記憶とは違う気もする。果たして僕は本当にこのお二人にお会いしたのだろうか?
ほんの数日前,欧米では通用しない引っ込み思案という感じで,これでもかと日本人の国民性を厳しく評している記事をいくつか目にした折,違うと思うけどなぁとぶつぶつと独り言をつぶやきながら頭に急に浮かんだのは虫の知らせか,なぜか小澤征爾さんだった。
Gummibärchen !!
初めて訪れたドイツは1970年代末の西ベルリン。居候宅のドイツ人の友人が叫んだ。彼の数人の友人たちを囲んで,何か日本人のぼくが金を稼げることがないかみんなで考えてくれていたとき,彼が叫んだ言葉だった。
ティアガーテン地区もクロイツベルク地区も東西ベルリンを分けている壁の中心部に位置するので,近くに住んでいる僕の散歩時の足はなんとなく壁の方に向かってしまう。
いつ行っても歩いている人はあまりいない。
友人宅に居候のような感じでしばらくお世話になることになった。
戦争で爆撃を受けながらも頑丈な石造りの骨組みだけは残っていたので,何とか人が住めるような住居になっている,いわゆる古建築アパート≪Altbauwohnung≫だ。
娘がまだ10代のころ,おしゃれな服装に着替えてきたので聞いたことがある。
「どっか行くの?」
「いや,どこにも行かない」
「???」
「むしゃくしゃして気分が悪いから着替えたの」
市場のざわめきと出店のおばさんたちの呼び声につれられ窓を開ける。ルピック通り沿いにアパートを見つけたのはラッキーだった。
メトロのアベス駅までまっすぐに続く市を2階の窓から臨みながらの朝のコーヒーは格別だ。