バーデン・バーデンの足跡

現在のバーデン・バーデンがある谷間の辺りに一体いつごろから人が住んでいたのか分かりません。新石器時代まで遡れることは,新城の付近で発見されたわずかの痕跡から察することはできるようですが,集落といえるほどのものではなかったようです。

紀元前1200年ごろの埋葬跡が発見されたことで居住は認められましたが,信頼性が高いのは紀元前500年ごろのケルト人の痕跡。

バーデン・バーデン市内を流れるオース川の名称にもなっている ”Oos“ という語は,ケルト語で「輝く水」を意味する „Ausava“ から来ているものと思われます。ただ,ケルト人が集落としてこの地に居住していたのかについては定かではありません。

それで,はっきりと分かっている,ライン河を渡ってガリアからやって来たローマ人たちの時期からバーデン・バーデンの歴史が始まった,というのが一般的な認識になっているわけです。
ただ,紀元20~50年ごろの陶器が数多く発見されていますが,それらがローマ人によって使用されていたものなのかについては専門家の意見が分かれています。

ローマ人の集落が決定的になったのは紀元75年。ウェスパシアヌス皇帝の時代を示す石碑がいくつも残っているからです。ローマ軍が滞在していたかについてはまた専門家の意見が分かれていますが,義勇兵の部隊がいたことは実証されています。
軍の拠点ではなく,温泉が出るということで贅沢な建造を行ったと察せられます。
„Aquae“ と呼ばれた町は2世紀の末,華やかな時代を迎え,紀元197年にローマ帝国で帝位継承したカラカラ帝の記念碑が建てられています。
カラカラ帝もバーデン・バーデンを訪問したとも言われていますが,実証はされていません。

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