魔物的な女性ファッション

娘がまだ10代のころ,おしゃれな服装に着替えてきたので聞いたことがある。
「どっか行くの?」
「いや,どこにも行かない」
「???」
「むしゃくしゃして気分が悪いから着替えたの」

年頃の女の娘は,理解できないことがいろいろあるもんだ,と思ったもんだ。

あるとき,アウシュヴィッツ収容所が解放されたときのドキュメンタリーテレビ番組があった。解放された日は,当然ながら,みんな疲労と安堵が交じり合った中で,食事と睡眠だけで満足な一晩を過ごす。しかし翌日,山のような衣服が運ばれて来ると,女性だけが目を輝かせて,お洒落ができる好みの似服に飛びつき,幸福感に包まれた歓声が沸き続けていた。

衣服というのは,理解できないほど,女性を幸福にさせる魔力があるのか,と思ったもんだ。

もちろんファッションへの関心やセンスが高い男性も少なくないのかもしれないけれども,女性が持つ,身に着けるモノへの関心や,女性がファッション性から得る幸福感は,男性の感度とは比較にならないだろう。

地球の環境保全だけでなく,第三世界における先進国のファッション産業の重労働に対する若者たちの関心や怒りは大きいけれども,だからといって所有する衣服の数を減らすことは考えないどころか,逆に新しい衣服を毎日のように欲しがる若者の欲求は世代が代わるごとに強まっているように感じる。
だから,消費文化に対して反省を促す意見が少ないだけでなく,使い捨てのような女性ファッションの目まぐるしい消費を諫める声は皆無に等しい。

また,政界で討論されるような大きな課題にはならないけれども,何十年もの間,ことあるごとにメディアに取り上げられる問題のひとつに子供のファッションがある。ご存じのようにドイツでは戦後,「右へ倣い」の危険性があってか,権威主義に反対する68年代の影響か,学校教育における規律が考え直され制服も全廃されたので,子供たちは幼稚園・小学校から私服でメーキャップですら自由になっている。
当然ながら,裕福な家庭の子供たちはブランドファッションを身にまとい,ダサい質素な衣服の子供はいじめを受けたりする。そういうなかで,特に女の娘たちは年頃になるまでカッコ良い多くの服やアクセサリーを親にねだり続けるわけである。
そのようなアパレル産業では,わずかの刺激さえ与えれば無限に伸びることをしっかりと知っている資本主義者たちが,溢れるファッション衣料の主な消費者である少年少女に,より速くより強く流行を追わせ,先進国の若者が購入できる価格に合わせて第三国で生産することが標準になった。

 

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