旅と滞在

男社会の日本

日本は男社会。間違いない。
また,男性が支配的な社会という意味では世界のほとんどの国がまだまだ男社会であるとは云えるのだけれども,日本の男社会はほかの国々の男社会とはどこか異なる,何か分からないけれども日本人特異な違いがあると思えてならない。

女性を尊敬し,認め,公平に付き合い,それらが女性からも認められている男性は世代が代わるごとに増えているようだし,あからさまな差別は少ないことなどが,問題が問題とならない原因かもしれない。

もし僕が日本で生き続けていたら,屈折を経ながらも,まぁ自分は女性を理解し,女性の気持ちも少しは分かっている,と多少の自負を持っていたかもしれない。
しかし,女性が男性と同じように生きることが,日本と比較すると当たり前になっている欧米で生活すると,自分の男社会的な思考に気づかされることが度々起こる。
同じように生きるとは,大人になれば自立しなければならない,という独立プレッシャーは男性と変わらないということでもある。女性は勿論,男性も世間もそう考えている。

日本では男社会であることに異論を出さなくても,要は女性の不満が高まることなく,男女および各ジェンダーの混成社会が機能すればいいのだから,徐々に良い方向に向かっていると考える人も多いかもしれない。

日本における男女問題の記事はたびたび目にするけれども,注目に値する記事にはほとんどお目にかからない。なかで,先日,「この人はよく分かっている。ぼくなど到底分からないことを」と思った記事があった。
>> DIAMOND Online (https://diamond.jp/articles/-/270380)

日本の「世間」で、女性差別が見えにくい理由がもう一つある。
たとえば、歌手で俳優でもある武田鉄矢さんは、3月にテレビ番組「ワイドナショー」に出演した際、西洋に比べて日本が「男性優位社会って言われていますけど、そんな風に感じたことはありません」と断定。夫婦関係を念頭に、「やっぱり日本で一番強いのは奥さんたちだと思いますよ」と発言している。
どうだろうか。これを聞いて共感する男性は少なくないのではないか。

僕も日本に住んでいたら武田鉄矢さんのような意見を持ち,「かぁちゃんが強いほうが家庭円満につながるのかなぁ」と言っているに違いない。
おそらく武田さんは奥さんをよく理解して,ひょっとすると炊事洗濯などの家事も手伝い,奥さんが疲れた様子だったら気遣うなど,夫婦仲も円満なのだろう。

家事を手伝うやさしい友人宅に一時帰国中に呼ばれた折,奥さんは台所で食事の支度をしていた。居間で語り合っていた友人が「お~い,お茶ぁぁ!」とやさしく叫んだ。奥さん「は~い」
何の変哲もない,どこにでもある情景だろう。
しかし,居合わせたヨーロッパ人女性は憤慨して小声で言った。
「立ち上がって自分で入れればいいのに・・,奥さんは忙しいのに!」

多数派ではないだろうけれども,食事に呼ばれると,着くなり奥さんに「何か手伝いましょう」と腕まくりして台所に入るヨーロッパの男性は多い。
まぁ台所に限らず,大人の欧米人はどこでもやたら Can I help you? を躊躇なく即申し出る。遠慮がちの僕はいつも先を越されてしまう。

それと,自分のことは棚に置いてよければ,男社会と関連性があるかどうか定かではないけれども,多くの日本人男性は嫌らしい。一般的な欧米人よりも嫌らしいという意味である。おそらく今でも変わっていないと思うけど,本屋の店先には18禁に指定されない程度の低レベルのエロ本が並んでいるし,漫画もしかり。電車のなかでも平気でエロ本をめくっている。
女性が怒りの声を上げないのが不思議に思えるけれども,ひょっとすると女性は幼いころから「社会は嫌らしい男たちが支配しているから,そのなかで如何に生くべきか」というのを無意識に身につけているのかもしれない。

町の繁華街では,夜ごと夜ごと男を主とした人たちがわんさと繰り出し,飲み食い場の間々に女性がサービスするようなクラブバーが道路沿いに並んでいる。普段は「あらエッチ,いやねぇ」で潜り抜けている女性たちも,こんなところを歩いて楽しめるのだろうか。
ヨーロッパでは大都市といえども,このようなソフトセックス調の繁華街は皆無だ。ロンドンやパリだってほんの一角だし,男女で楽しむホールを除くと,ほぼ男だけの世界だ。また,外観からは分からないクラブバーがほとんど。アムステルダムの飾り窓にしても,セックスに割り切った商売の一角。ただ,駅前の中心街にあるので,まだ十代だった娘たちを連れてアムステルダムに行ったときなどは,そこに間違っても入り込まないように,さりげなく知らんふりして避けるのに苦労した。

日本女性はときに,自虐的ではなかろうかという気にもなる。
最近の事情はしらないけれども,昔は漫才,さらには格式高い真打の落語でも,不美人な女性や高齢者の女性を軽くダシにして笑うネタが度々出てきた。そして,女性の観客も一緒に笑っている。いつか気になり始め,注意して聞いていたら,とても多いことに気がついた。
だから当然ながら,それほどの悪気はなくても,学校で容姿がダサい,ちょっと変わった女生徒は笑いものにされやすくなるのではないか。小さいころからこれまで「ブス」という言葉を何度耳にしたことだろう。僕は女性の味方でもなんでもないけれども,言われた当人は勿論,不美人という部類に属することを意識した女性は,毎日そのように見られていることを認めながら生きなければならないと考えると,男の罪は極めて重い。

政治家や経済人に女性が少ないのは統計などではっきり示されているので別に記す必要はないだろう。
ただ,ラジオやテレビなどのメディアでも,女性はほぼ例外なく男性のアシスタント的な役割というのは欧米から見ると異常に映る。それだけではなく,テレビなどに出る若い女性は可愛く振る舞う。別のテーマだけれども,日本人の若い女の子が「可愛く」振る舞おうとしている様子は気持ち悪い,という意見をいくども聞いた。
可愛く振る舞う若い女性がテレビに出演することで日本人男性がハッピーになっているとしたら,女性たちはどうなのだろうか,という疑問が湧いてくる。
女性モデレーターが主導して,男性がアシスタントというような番組は日本にあるのだろうか。欧米ではいくつもあるし,ニュース番組などでは女性の司会者のほうが圧倒的に多い。

北欧諸国は知らないけれども,ドイツでは今だ,強すぎる女性には暗黙の心理的抵抗があるような気がしないでもない。旧東ドイツには主婦などという女性はいなかったので違うかもしれないけれど,1970年代まで主人の同意なく働くことが許されていなかった西ドイツでは長らく「イニシアチブをとるのは男」という道徳観と価値観が残っていたと思われる。

もう10年以上も前の話だけれども,ドイツ第一放送(ARD)のニュースや政治評論のテレビ番組で最も知られていたザビーネ・クリスチアンゼン(Sabine Christiansen)という人がいた。いつごろからだったか,ドイツ第二放送(ZDF)ではマイブリット・イルナー(Maibrit Illner)が出てきた。
年配のドイツ人男性があるとき言った。「クリスチアンゼンは聡明だし,評論も素晴らしいけど,最近はZDF(マイブリット・イルナー)を見てるよ」
どうしてですか,と尋ねると,口をもごもごさせながら,「彼女はちょっと強すぎるんだよね」
ひとりのドイツ人の感想にすぎないけれども,強すぎる女性を敬遠するドイツ人男性も本当は結構多いのではないかと思った。

 

Comments powered by CComment

関連した記事

Information

Joomla 4 に変わって間もないのに Joomla 5 が出ました。不安ながらも「テストも兼ねて」と思って更新したら,やはり不具合が出ました。

Who's Online

ゲスト 341人 と メンバー0人 がオンラインです